
第一部 ジャータカ朗読
今回のジャータカは「048 Vedabbha-jātakaヴェーダッバ」 財宝を得ることのできる不思議な呪文を知っているバラモンが、賢者の忠告を聞かずに呪文をとなえ、身を滅ぼしてしまう物語でした。
欲に狂ったこの世では、人間に価値がないのです。財産のためなら、人間としての自由も、尊厳も、何でも犠牲にするのです。会社のために尽くす人は、時々家族を犠牲にする。
利益を上げたいと必死になる会社は、法律まで犯して社員に過剰労働させる。そこで事故を起こしたりして、何人かの命まで奪われてしまう。利益を上げるための努力は、会社の閉鎖という結果で終わるのです。財産のために、国同士が対立する。戦争も起こる。暗殺も起こる。裏切りも詐欺も起こる。「生きるためだ」と思っているでしょう。しかし、事実は「生きるために死ぬはめになる」ではないでしょうか。
来月は「049 Nakkhatta jātakaナッカッタ」
星の配列にこだわって約束をたがえたために、せっかくのめでたい結婚を駄目にしてしまった人々の物語です。
詳細は ジャータカ朗読会のHP をご覧ください。
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第二部『大念処経』 今回はnīvaraṇa蓋(1.kāmacchanda, 2.byāpāda 3.thīna-middha, 4.uddhacca-kukkucca, 5.vicikicchā kkhandhā.)の三番目「thīna-middhaだらけ・睡眠という壁」から、 Pañc' upādāna-kkhandhā五取蘊( 1.rūpupādāna-kkhandho, 2.vedanupādāna-kkhandho, 3. saññupādāna-kkhandho, 4. saṅkhārupādāna-kkhandho. 5,viññāṇupādāna-kkhandho.)に入りました。来月は5.viññāṇupādāna-kkhandho.識取蘊からのスタートとなります。 ③だらけ・眠気という壁
身体も心もだるい状態、鈍い状態、重い状態、さえていない状態はthīnamiddha・沈鬱と眠気/惛沈睡眠といいます。妄想は無智(癡)に染まっているのです。無智の妄想の次、惛沈睡眠に陥るのです。 ④混乱状態・後悔という壁
悼挙と後悔は別々の感情ですが、結局はやるべきことをやらない、という同じ結果になるので、ワンセットで取り上げられているのです。修行を続けると、どことなく、悼挙が起きたり、後悔が起きたりするのです。
⑤疑いという壁
疑とは、心に「迷い」が入ってしまうことです。迷ってしまうと、何もできなくなるのです。
五蘊の観察(蘊の部)
五蘊とは、我々の命を構成している身体と心のことです。五蘊に対する執着(取)を捨てることを目指して、観察実践を行なうのです。 (1)rūpupādāna-kkhandho色蘊
この身体は地水火風というものが組み合わさったところでできている。Rūpa もあつまり(蘊)で観ると、身体が変化していることはよく分かるのです。物質のエネルギーとして観ることなのです。「rūpa がどのように生まれるか」と、「どのように変わっていくか」とを観れば、生まれては消える、決して止まらないエネルギーの流れとして観えるのです。
(2)vedanupādāna-kkhandho受蘊
感覚自体が身体中で繋がっているエネルギーですから、それも一つのvedanākkhandha・受蘊として観るのです。感覚もrūpa・色と同じく、繋がっています。色というエネルギーの流れを発見してから、受という感覚のエネルギー組織を発見します。感覚はそれで終わらないのです。身体だけではなく、心にも感覚が生じます。
(3)saññupādāna-kkhandho想蘊
感覚がある限り、saññā ・概念も同時に起きてしまうのだと発見することができます。修行者は最初に、お腹に起こる感覚変化(受の変化)を確認します。そのとき、「膨らみ、縮み」とラベリングします。お腹の感覚が、膨らみである、縮みである、と認識しているのです。ですから、膨らみとは概念であり、saññā・想なのです。 生まれてからいままで学んだものは、全てsaññā なのです。
(4)saṅkhārupādāna-kkhandho行蘊
我々の心のなかではずうっと、何かしたい、何かやりたいという、そのエネルギーが働いているのです。意欲は、manosaṅkhāra・意行、vacīsaṅkhāra・口行(語行)、kāyasaṅkhāra・身行の三つしかない。生きているということは、この三種類のsaṅkhāra の流れであって、saṅkhāra に従順に行動しているのです。 人間とは、ずうっと変化して流れている身体という物質的なエネルギー(色蘊)がある。その物質のエネルギーのシステムを感じる感覚の流れ(受蘊)がある。れについて「こういうものだ」というsaññā が生まれてくる。同時に、「次に何をやるのか」という感じで生まれて来るエネルギーはsaṅkhāra です。 --------------------------------------------------------------------------------
第三部 ダンマパダ法句経
17 . Kodha-vaggo忿激の章(221~234(14))を確認しました。 次回は18 . Mala-vaggo垢の章(235~255(21))です。札幌仏教塾のHPを参照ください。
雪が時々降る冬らしい天気でした。いつものエルプラザでの開催となりました。今回は6名の御参加を頂きました。皆様お忙しい中たいへんありがとうございました。
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