第一部 ジャータカ朗読
今回は「035 Baka jātaka バカ」 一羽のアオサギが池の魚をだまして、みんな食べてしまったが、最後にカニも食べようとして、反対にだまされしまったという物語でした。
一羽のアオサギが、巧みな言葉で魚たちをだまし、殺して食べました。ついに、池にたくさんいた魚たちは一匹もいなくなりました。アオサギは一匹のカニがいるのを見つけ、魚たち同様に巧みな言葉でカニをだまそうとしました。「アオサギさん、あんたが僕を落とさず連れて行けるか心配だから、僕のハサミで首につかまっていいなら一緒にいってもいいよ」と言い、アオサギも同意して出発しました。アオサギは本性を現して魚たちと同様に池のほとりの木に連れて行こうとしました。カニは「この魚たちは、自分の愚かさのために、あんたに食べられてしまった。でも僕は違うぞ。食べられるどころか、お前の首をちょん切ってやる。僕をだましたつもりだろうが、だまされたのはおまえの方だ」とアオサギの首を締め付けて、蓮池に降ろさせてから、アオサギの首をちょん切って殺し、池の中に入っていきました。蓮池のほとりに住む樹神は、この不思議な出来事を見て感嘆し、森をざわめかせながら妙なる声で詩句を唱えました。
欺くことにたけた物が
その詐術で、永く栄えることはない
アオサギがカニにされたように
詐術の報いを受ける
【この物語の教訓】 ① 人を欺いてはならない、だましてはならない、という教えです。 ➁ 詐欺師は必ず他のずる賢い人にだまされるのです。人を欺いていくと、自分に自信がついて人は簡単にだませると思って、わきが甘くなり単純なところで、自分もだまされることになります。
詳細は ジャータカ朗読会のHP をご覧ください。
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第二部『大念処経』 今回は「Ⅰ身の随感(出入息の部、威儀の部、正知の部、厭逆思惟の部、要
素思惟の部、九Paṭikūlamanasikārapabbaṃ墓地の部)」のうち「九墓地の部」をおえました。
(1)捨てられた死体を観察して瞑想する、 8.(9) 379. ‘‘Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu seyyathāpi passeyya sarīraṃ sivathikāya chaḍḍitaṃ ekāhamataṃ vā dvīhamataṃ vā tīhamataṃ vā uddhumātakaṃ vinīlakaṃ vipubbakajātaṃ. So imameva kāyaṃ upasaṃharati – ‘ayampi kho kāyo evaṃdhammo evaṃbhāvī evaṃanatīto’ti. 8 つぎにまた、比丘たちよ、比丘は、たとえば墓地に捨てられた、死後一日、あるいは死後二日、あるいは死後三日経ち、膨張し、青黒くなり、膿ただれた身体を見るように、この身のみに集中します。〈この身も、このような性質のもの、このようになるもの、このような状態を超えないものである〉と。 身体のために大騒ぎしない
‘‘Iti ajjhattaṃ vā …pe… evampi kho, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati.
以上のように、内の身において身を観つづけて住みます。あるいは、外の身において身を観つづけて住みます。あるいは、内と外の身において身を観つづけて住みます。 また、身において生起の法を観つづけて住みます。あるいは、身において滅尽の法を観つづけて住みます。あるいは、身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。そして、かれに〈身がある〉との念が現前します。それは他でもない、智のため念のためになります。かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。このようにまた、比丘たちよ、比丘は身において身を観つづけて住むのです。
(2)動物に食べられた死体、
kākehi vā khajjamānaṃ kulalehi vā khajjamānaṃ gijjhehi vā khajjamānaṃ kaṅkehi vā khajjamānaṃ sunakhehi vā khajjamānaṃ byagghehi vā khajjamānaṃ dīpīhi vā khajjamānaṃ siṅgālehi vā khajjamānaṃ vividhehi vā pāṇakajātehi khajjamānaṃ.
烏に食べられたり、鷹に食べられたり、禿鷹に食べられたり、蒼鷲に食べられたり、犬に食べられたり、虎に食べられたり、豹に食べられたり、ジャッカルに食べられたり、あるいは種々の小さな生き物に食べられたりしている...
(3)食い荒らされたあとの死体、
aṭṭhikasaṅkhalikaṃ samaṃsalohitaṃ nhārusambandhaṃ…pe…
骨が連鎖している、血肉がある、筋が繋がっている.....…
(4)血まみれで骨と筋だけの死体、 aṭṭhikasaṅkhalikaṃ nimaṃsalohitamakkhitaṃ nhārusambandhaṃ…pe… 骨が連鎖している、肉のない、血にまみれ、筋が繋がっている....… (5)ほぼ骨と筋だけの死体、 aṭṭhikasaṅkhalikaṃ apagatamaṃsalohitaṃ nhārusambandhaṃ…pe… 骨が連鎖している、血肉のない、筋が繋がっている… (6)骨が散乱した死体、 aṭṭhikāni apagatasambandhāni disā vidisā vikkhittāni, aññena hatthaṭṭhikaṃ aññena pādaṭṭhikaṃ aññena gopphakaṭṭhikaṃ [‘‘aññena gopphakaṭṭhika’’nti idaṃ sī. syā. pī. potthakesu natthi] aññena jaṅghaṭṭhikaṃ aññena ūruṭṭhikaṃ aññena kaṭiṭṭhikaṃ aññena phāsukaṭṭhikaṃ aññena piṭṭhiṭṭhikaṃ aññena khandhaṭṭhikaṃ aññena gīvaṭṭhikaṃ aññena hanukaṭṭhikaṃ aññena dantaṭṭhikaṃ aññena sīsakaṭāhaṃ.
もろもろの骨に繋がりがなく、四方八方に、すなわち、別の方向には手の骨が、別の方向には足の骨が、別の方向には踝の骨が、別の方向には脛の骨が、別の方向には腿の骨が、別の方向には腰の骨が、別の方向には肋骨が、別の方向には背骨が、別の方向には肩の骨が、別の方向には頸の骨が、別の方向には顎の骨が、別の方向には歯の骨が、別の方向には頭蓋骨が散乱している....
(7)白骨化した死体、
aṭṭhikāni setāni saṅkhavaṇṇapaṭibhāgāni…pe…
もろもろの骨が白い貝の色のような.....
(8)骨が山積みされた死体、
aṭṭhikāni puñjakitāni terovassikāni …pe…
もろもろの骨が山積みされ、一年経っている....
(9)骨が粉々になった死体、
aṭṭhikāni pūtīni cuṇṇakajātāni.
もろもろの骨が腐食し粉々になっている死体を.....
ブッダは「価値」の苦しみを解除する、
無常論は「無価値」論、無常が分かれば「価値観」の苦しみが消える、
観方が変われば瞑想は成功
次回はⅡ受の随観「苦・楽・非苦非楽を観る」からです。
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第三部 ダンマパダ法句経
13 . Loka-vaggo世の章(167~178(12))を確認しました。 次回は14 .Buddha-vaggo覚者の章
(179~196(18))です。札幌仏教塾のHPを参照ください。
札幌も朝晩だいぶ寒くなってきました。いつものエルプラザ特別会議室で充実した午後を過ごしました。今回は6名の御参加を頂きました。皆様お忙しい中たいへんありがとうございました。
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