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12/8自主学習会終わりました。

執筆者の写真: ダンマサークル 札幌ダンマサークル 札幌

第一部 ジャータカ朗読


今回のジャータカは「043 Veḷuka-jātakaヴェールカ」毒蛇を息子のように育てていた修行者は、師の教えに逆らって蛇を捨てなかったために、やがて手をかまれて死んでしまうという物語でした。


 善き人の話に耳を傾ける、理解しようとする、納得がいくまで話し合いをする、反論も出してみる、その上で目上の人のアドバイスが本当に自分の為になるものだと理解すれば、自分の生き方を善い方向に軌道修正できるのです。このような生き方が、「素直」というものでしょう。「素直・正直」というのは、弱いという意味ではありません。妥協しないで、理解する人の生き方なのです。しっかり者です。 「毒蛇は可愛い、我が子のように情が湧いてくる」と言われると、大人にもその気持ちはわかるのです。しかし、ペットは戯れながら、可愛く飼い主を噛んだりもします。それは楽しいが、毒蛇が戯れるのはいかがなものでしょうか。

来月は「​044 Makasa jātakaマカサ」父親の頭にとまっ た蚊を追い払おう として、大なたで その頭を割ってし まった低能な息子 の物語です。

詳細は ジャータカ朗読会のHP をご覧ください。

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第二部『大念処経』   今回は「Ⅲ心の随観」をおえました。


10 つぎにまた、比丘たちよ、どのようにして比丘は心において心を観つづけて住むのか。比丘たちよ、ここに比丘は、貪りのある心を、貪りのある心であると知ります。あるいは、貪りを離れた心を、貪りを離れた心であると知ります。あるいはまた、怒りのある心を、怒りのある心であると知ります。あるいは、怒りを離れた心を、怒りを離れた心であると知ります。あるいはまた、愚痴のある心を、愚痴のある心であると知ります。あるいは、愚痴を離れた心を、愚痴を離れた心であると知ります。あるいはまた、萎縮した心を、萎縮した心であると知ります。あるいは、散乱した心を、散乱した心であると知ります。あるいはまた、大なる心を、大なる心であると知ります。あるいは、大ならざる心を、大ならざる心であると知ります。あるいはまた、有上の心を、有上の心であると知ります。あるいは、無上の心を、無上の心であると知ります。あるいはまた、安定した心を、安定した心であると知ります。あるいは、安定していない心を、安定していない心であると知ります。 あるいはまた、解脱した心を、解脱した心であると知ります。あるいは、解脱していない心を、解脱していない心であると知ります。

①貪りのある心、②貪りを離れた心、③怒りのある心、④怒りを離れた心、⑤愚痴のある心⑥愚痴を離れた心、⑦萎縮した心、⑧散乱した心、⑨大なる心、⑩大ならざる心、⑪有上の心、⑫無上の心、⑬安定した心、⑭安定していない心、⑮解脱した心、⑯解脱していない心で十六になります。だいたい、心はそれぐらいに分ければいいのです。このようなやり方で確認作業を続けると、貪瞋痴が二度と現れないように消えたとき、それも明確に知ることができるのです。解脱に達しました、と、如実に知ることができるのです。お釈迦様の精密な単語の選び方によって、覚った、という勘違いになる恐れがなくなるのです。

次回は「Ⅳ法の随観」に入ります。

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第三部 ダンマパダ法句経

15 . Sukha-vaggo安楽の章(197~208(12))を確認しました。 次回は16 . Piya-vaggo愛しいものの章(209~220(12))です。札幌仏教塾のHPを参照ください。


薄っすらとですが根雪となり、今年最後の勉強会となりました。いつものエルプラザ特別会議室で充実した午後を過ごしました。今回は6名の御参加を頂きました。皆様お忙しい中たいへんありがとうございました。

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