top of page
執筆者の写真ダンマサークル 札幌

4/9自主学習会終わりました。


第一部『老病死に勝つブッダの智慧』を読みました。

第二章を終わりました。「3 心と体の密接な関係」の途中から「4 心を清らかにする慈悲の瞑想」までです。 以下サマリーです。

第二章病気と心、心と体  「3 心と体の密接な関係」 心を汚す高慢という毒 一番心が汚れるもとは、高慢です。高慢から怒りが生まれます。怒りというのは、ほんのかすかな怒りであっても、体に毒として残ります。

心の変化が体を変える 心が毒になったら、いくらお医者さんが正しい治療をしたとしても、病気 は治りません。あるいは治るのがとても遅くなります。風邪をひいても、落ち着きがある人はすぐに治るし、落ち着きのない人はなかなか治りません。だから精神状態はとても大事です。よく気をつけたほうがいいのです。

4 心を清らかにする慈悲の瞑想 言葉の持つエネルギー きれいな言葉は心を清らかにします。言葉を唱える習慣がつけば、汚れた心はどんどんきれいになります。そうすると心も体も健やかになってきます。それはきちんと理屈に合った、説明のできる科学的なことであって、形而上(けいじじょう)的な神秘的なできごとではありません。

慈悲の言葉が慈悲の心を生む 慈悲の瞑想を何度も練習して身につけなければなりません。そうすれば、瞬間でも慈悲の瞑想をすると、自分の中に強烈な、特別な、万能薬のようなエネルギーが入ってくるようになります。そうすると、死ぬまで病気にはかからないでしょう。自然現象である老化は別として、突然病気にかかることはなくなるはずです。

慈悲の心を言葉に残す 日本では俳句に人気がありますが、あれを使えばいいのです。慈悲の俳句はつくればつくるほど自分が徳を積むことになり、すばらしい人間になれます。そして慈悲の心が育ち、その力で病気も治ってしまいます。短歌でも詩でもいいのです。とにかく慈悲の心を言葉にしてみることです。 ヴィパッサナー瞑想と七覚支(しちかくし)、宝経(たからきょう)、慈経(じきょう) 瞑想が治癒へもつながる  お釈迦さまの教えるヴィパッサナー瞑想でも病気は治ります。体の調子が悪いとき、たとえばどこかが痛いときには、「痛み、痛み」と痛みをそのまま明るい気持ちで観ていると治ります。自然の流れとして、自然法則として、ありのままの事実として「痛み、痛み」と観察するのです。そうすると痛みなどは簡単に治すことができます。

心のエネルギーを生む真理の言葉 お釈迦さまが病気になったときも、高弟のモッガッラーナ(目連(もくれん))尊者にお経を上げてもらってすぐに病気を治したそうです。それは、七覚支(Satta-sambojjhaiga(サッタサンボッジャンガ))という名前のお経です。 ①念覚支Sati-sambojjhanga 体と体の感覚に常に気づくことです。 ②択法覚支(Dhammavicaya-sambojjhanga 現象を分別して観られる力です。初めに行うのは、現象を物質と心という二つに分けることです。膝に感覚さえなければ、まったく曲がらないまで膝が硬くなっても、痛みはないと知る。それで物質と心を区別したことになるのです。存在全体を分別できるようにこの能力を育ててあげるのです。 ③精進覚支Viriya-sambojjhaiiga 人間は感情の奴隷で、感情に命令されるままに生きているのです。そこであえて気づきの実践 (七覚支の第一)を始めるのです。その人に精進という能力が付いてくるのです。 ④喜覚支Plti-sambojjhańga 精進が進むと、充実感が生まれます。 ⑤軽安覚支Passaddhi-sambojjhaiga 心と体の落ち着きです。 ⑥定覚支Samādhi-sambojjhañiga 心が統一していることです。乱れや雑念がなく、心が作業に集中している状態です。 ⑦捨覚支Upekkhā-sambojjhanga 完全に落ち着いた状態です。 このお経にはすばらしい力があって、その波動により病気が治ることがあります。 それから『宝経 (Ratanasutta(ラタナスッタ))』もすばらしい力があります。自分の節で結構ですから、心を清らかにして、楽しく唱えてみてください。『慈経(Metasutta(メッタスッタ))』 もとても効果があります。慈経の場合は意味を感じながら唱えてほしいと思います。 -------------------------------------------------------------------------------

第二部 ジャータカ朗読会

Mahākapi jātaka(No.407)偉大な猿王物語を読みました。

--------------------------------------------------------------------------------

第三部 ダンマパダ法句経

1.Manopubbaṅgamā dhammā (ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作りだされる。)を取り上げました。次回からは全毎回1vaggoづつ読んでいこうかなと思います。イベントのページに書いておきますのでご覧ください。全26章なので二年少しで全体を概観できればと考えています。章ごとの句の数は以下の通りです。 1 Yamaka-vaggo : 20

2 Appamāda-vaggo : 12

3 Citta-vaggo : 11

4 Puppha-vaggo : 16

5 Bāla-vaggo : 16

6 Paṇḍita-vaggo : 14

7 Arahanta-vaggo : 10

8 Sahassa-vaggo : 16

9 Pāpa-vaggo : 13

10 Daṇḍa-vaggo : 17

11 Jarā-vaggo : 11

12 Atta-vaggo : 10

13 Loka-vaggo : 12

14 Buddha-vaggo : 18

15 Sukha-vaggo : 12

16 Piya-vaggo : 12

17 Kodha-vaggo : 14

18 Mala-vaggo : 21

19 Dhammaṭṭha-vaggo: 17

20 Magga-vaggo : 17

21 Pakiṇṇaka-vaggo : 16

22 Niraya-vaggo : 14

23 Nāga-vaggo : 14

24 Taṇhā-vaggo : 26

25 Bhikkhu-vaggo : 23

26 Brāhmaṇa-vaggo : 41

今月の参加者は五名。皆様お疲れさまでした。



閲覧数:29回0件のコメント

Comments


bottom of page