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執筆者の写真ダンマサークル 札幌

7/9自主学習会終わりました。



第一部 ジャータカ朗読会

1.Apaṇṇaka jātaka 堅実なもの(愚かな隊商主の息子は、下僕とともに夜叉に食われてしまうが、機略に富む隊商主の息子は、困難を克服して商売に成功する。)をとりあげました。 1. Apaṇṇakaṃ ṭhānameke,

dutiyaṃ āhu takkikā;

Etadaññāya medhāvī,

taṃ gaṇhe yadapaṇṇakanti

ある者は、道理を説き

またある者は、妄想を語る

賢者はこれを知りて

妄想なき道を選ぶべし

※apaṇṇaka戯論なき、ṭhāna場所,道理、takkam思索、aññā了知、medhāvin智慧ある、gaṇhāti取る 詳細はジャータカ朗読会HPをご覧ください。 カルタで仏教を楽しもう!仏教的遊びツール第2段『ジャータカルタ』! | 彼岸寺 (higan.net) の紹介もしました。 --------------------------------------------------------------------------------

第二部『老病死に勝つブッダの智慧』

「第3 章 すべて人生というものは」のうち「3 究極の幸福」と「4 真理に近づくために」を輪読しました。ポイントは以下の通り。 3 究極の幸福

完璧な健康の矛盾

 現象が変化する流れを止めてしまったら、すべての存在はそこでおしまいです。完璧な健康、歳をとらないなどということはあり得ないし、百五十歳や二百歳まで生きていけるはずがありません。 すべての存在を止めてしまうことになるのですから。

変化のエネルギー

 我々はいつでも心の中に何かしらのエネルギーを持っています。いっときも休息することなく、何かを考えたり、何かしなくてはいけないという、その心の働きに促されるようにして生きています。この「何かしなくてはいけない」という感情こそが心のエネルギーの素になって、我々は行動しているのです。

時空の流れを止めたその先にあるもの

 仏教ではそのポテンシャル・エネルギーをちょっと消滅させておけば、時空の流れがストップするのだと教えます。「ストップするのだから、あなたはそこで消えるが、消えたあなたは今度は永遠である。その状態になって初めて究極なる幸福感を味わえるのだ」と言います。その究極なる幸福感は二度と消えることのない至福のときです。ですが、この状態というのは第三者が確認できるような次元の話、存在の次元の話ではないのです。人間一人ひとりが、それぞれ自分の体験として確認するしか方法はありません。 苦しみを真に消す道

 どんな人間も、生きることへのいくらかの未練はありますから、なかなか悟れません。特に現代社会では、物質文明といわれるように人の欲望を刺激する社会になっていますから、悟りに至る人間がますます少なくなっているのです。

一切の執着・欲望を超えて悟るということ

 阿羅漢になった人は、別に目的があって生きているのではなく、ただ死ぬまで待っているだけです。そこにはストレスもなければ、病気と闘う怒りの心もありません。我々人間は、生きるために一生懸命に闘っています。戦争のように必死ですが、いくら闘っても勝てません。生きるためにいくら闘っても、結局最後は死ぬからです。そのことに気づかずに必死で苦しんで闘っているのが、かわいそうです。我々の人生は本当に短いのですから、一瞬でも苦しむ必要はないのです。

深い真理に裏打ちされた「明るく生きる」

 我々はこの世界の真実を知ることによって、明るくならなければなりません。この人生は結局虚しいのだからどうがんばっても歯は立たない、だから明るく生きようということです。「人生はすべて苦であり虚しいことを理解して、ものごとに執われず、明るく、明るく、明るく、今の瞬間瞬間を充実して生きる」このことを覚えておきましょう。「今の瞬間だけ明るくニコニコと元気でいることができれば、それで満足」。別に病気でもいいのです。今の瞬間はどうですかと聞かれて、今はいくらか気分がいいですというならば、それで十分なのです。 4 真理に近づくために

自分の不浄を見つめる

「自分の体はとても汚く、臭く、不浄で醜いのだと徹底的に実感して観察しなさい」そしてそれは、明るい考えだとお釈迦さまは言うのです。

肉体の醜さをを見つめる

 お釈迦さまは、「暗い」で片付けて、真理を見ない人に対しては、容赦がありません。そのような人は狂人だと言うのです。世の中には真理を見る人はめったにいません。ですから狂人とは、我々一般人のことです。一般人はまったくの無知で、バカで、アホだということなのです。 瞑想こそ真理への道

 余計な執着が消えると、人間は徹底した精神的なリラックスを感じます。それは言葉で言い表せないほどの、すばらしいリラックスです。

人生は無常だ、人の体は不浄だ、人生はそれほど真剣に考える必要はない、と明るく捉えていると、心がリラックスします。心がリラックスしていると、たとえ病気になったとしてもどんどん治っていきます。心が治ると、必ず体も治っていくのです。それは明言できます。 -------------------------------------------------------------------------------

第三部 ダンマパダ法句経

勉強方法を確認しました。次回までにධම්මපද කතාダンマパダ物語のサイトで「2Appamadavaggo怠らないことの章21-32」の朗読を聞きました。 今月の参加者は5名。皆様ありがとうございました。

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